短歌鑑賞:歌集「悲しき玩具」(9)         

 

()歌の順序は歌集の順序によります。

 

痛む歯をおさへつつ、

 

日が赤赤と、

 

冬の靄の中にのぼるを見たり。

 

 

 今回、歌集を一首一首じっくり読み進めていて気づくことがありまし


た。歌集を一首一首じっくり読むということを今まであまりしていなかっ


たことに気づいたのです。ようするに、読み飛ばしていたことに気がつい


たのでした。今回の作品も、過去にさっと読み飛ばしていました。


 「痛む歯」、「日が赤赤」「冬の靄」などに目を向け、「痛む歯」と


「冬の靄の中の赤い日」との感覚的な関連などを味わって終っていまし


た。「おさえる」とか「のぼるのを見ていた」など読み飛ばしていたので


す。


 わたしは「痛む歯をこらえつつ」というふうに勝手に考え、「おさへつ


つ」を軽く読み飛ばしていたのです。今回、この「おさへつつ」こそが、


啄木の卓越した才能、凄さを表す言葉だったと思い至ったのです。



 歯の痛みの辛さは誰もが経験あることだと思います。神経に直結する痛


みはなかなか耐えることが難しいものです。ですから、これがもし「痛み


をこらえつつ」なら、「痛い!痛い!」で終っていて、とても何かを考え


たり見たりすることは難しいでしょう。まして歌など作る余裕はないで


しょう。


ですから、「おさへつつ」なのです。痛みを抑えているのです。もっと


いえば、痛みなど抑え込んでいる、痛みなど超越している。痛みなど忘


れているのです。今、日が赤赤と、冬の靄の中を昇っている、それがあ


まりにも美しくて見惚れていた、痛みも忘れて…。そんなふうに解釈し


たのでした。あるいは、それはあたかも歯の痛さを文学的に表現してい


るのかも知れません。歯茎が赤赤と化膿しているのかもしれません。意


識が朦朧としているのかもしれません。その歯の痛い状態をじっと観察


している、凄まじいばかりの文学魂、短歌魂を持った啄木が自身の歯の


痛みのことを暗喩的に歌っているのかもしれません。

 

 啄木は自分の美意識、もっと分りやすく言えば、自分の文学あるいは


もっと端的に言いますと、短歌のためならたとえ歯の痛みであっても克服


できた人間ではなかったろうか、そんな気がします。そこにこそ啄木の凄


さがあると、この作品を見てあらためて思ったのです。


 

痛む歯をおさへつつ、

 

日が赤赤と、

 

冬の靄の中にのぼるを見たり。